【日本で独自の進化を遂げたそろばん】
中国から伝わったそろばんは珠の形状が今の日本で活躍しているタイプのように菱形ではなく、もっと丸みを帯びており操作法もやや異なります。
中国式のそろばんは日本に伝えられる前から現在に至るまでほぼ同じ形状のまま千年以上変化がないようですが、日本はそこからアレンジを加えます。
子供の頃の記憶を蘇らせれば思い出すでしょうが、日本人のそろばんの扱いは素早く機敏で珠を弾くとバチバチ音を立てます。
中国人はもっとスローな感じのようで、使い方もちょっと違います。
そういうわけで日本人向けに改良されるのですが、珠の形状だけではなく全体的に小型化されたと考えればいいでしょうか。
これは日本人の得意技のひとつで性能そのままでコンパクトにします。持ち運びやすいし操作も簡単な計算道具として、日本人向けに改良したのです。
日本に持ち込まれてからしばらくしたら国内でも製造を開始されたのですが、主に持ち込まれた港町で行われていたのでしょう。
【全国的に有名なそろばんの産地】
マニアなら知っているであろう「大津そろばん」は滋賀県大津市で製造された国産品で、片岡庄兵衛という人物が製造したことから「庄兵衛そろばん」との
異名を持つ名器として有名です。ちなみに大津そろばんの第一号は1612年とのことです。
他にも国内で有名なのは「播州そろばん」と「雲州そろばん」でしょう。
播州そろばんは播州(兵庫県小野市)で産まれたそろばんで、大津から小野に伝わった製造技術がベースになっています。
1786年頃から作られ始めたとされる品なので歴史の長いブランドです。
雲州そろばんはそれよりも少し近代的で、1800年を過ぎてから産まれた品ということを冷静に考慮すると近代的といってもやはり歴史は短くなさそうです。
雲州とは今の島根県仁多朝横田町で、近所の地主さんが宮大工の村上吉五郎にそろばんの修理を依頼したことがきっかけになります。
村上吉五郎が大工としてどれほどの腕前なのかはよくわかりませんが、この計算道具の修理が得意だったわけではなかったようです。
なぜなら村上吉五郎が雲州そろばんを開発したわけでもなく、もしも彼の所で話が終わっていたらそこまで、雲州そろばんは誕生しませんでした。
ではその後の展開はどうだったのか、雲州に住む高橋常作と村上朝吉のふたりの大工が村上吉五郎の作品に手を加えたのです。
もちろんきっかけとなった村上吉五郎が雲州そろばんの誕生に関わったことは否定しませんが、それだけでは産まれなかったのです。
今の雲州そろばんがあるのは高橋常作と村上朝吉の活躍も大きく、彼らなしではブランドを立ち上げることは出来なかったでしょう。
ここは平等に三人の功績としてまとめるのが無難かもしれませんね。
話だけ聞くと高橋常作と村上朝吉の方が優秀な職人のようなイメージを受けますが本職である大工仕事だと、
どちらが有能だったのかは残された文献からは読み取ることはちょとできなさそうです。
どことなく習字が得意そうな村上吉五郎、運動神経がよく水泳が上手そうな高橋常作、絵画に造形が深そうな村上朝吉、と勝手に想像してみましたが、
あまり大工と関係ないことばかりなのでやっぱりわかりません。
知っておくべき有名ブランドはこれくらいですが、他にも日本中でそろばんは製造されているので皆さんが習い事で使っていたのは
上記のどれでもない品という可能性も充分考えられます。
港がある地域で発達しやすかったのでしょうが、博多や大阪、広島や名古屋、東京でも製造されています。
もし今度購入する機会があればどこで製造されたのかを確認してみましょう。