そろばんの歴史

【そろばんは5500年前からあった?】

子供の習い事で使われている現在のような形状ではありませんが、そろばんの原型となったのはジグラード塔で発見された 数字の印章痕と穴のついた1枚の泥土版だというのがそろばん博士達のあいだでは常識になっています。 この塔は今からおよそ5500年前のシュメール人が建築したもので、チグリス河畔にきっと長い年月をかけて建てられました。 この道具を原型として改良を重ねるうちに今のようなそろばんになったようです。 今から3500年ほど前には砂の上に石を置いて計算する砂そろばんというのがメソポタミアで発明され、 その後もギリシャやエジプトで盤上に線をひいてタマを並べて計算する線そろばんが一部で使われていたそうです。 見た感じは塾で使っているそろばんとはあまり似ていないような気がしますが、仕組み自体はそんなにかけ離れてもいないのでやはりそろばんの先祖でしょう。 今から2400年ほど昔の時代になるとローマで溝そろばんというのが出現するのですが、これは日本で現在みられる4つ珠のそろばんにとても似ています。 溝にタマをはめて計算するのが特徴で一気に現在のタイプに近づいたと言ってもいい一品で、計算もさぞかしはかどったのではないでしょうか。 これがシルクロード経由で中国に渡ったようで、明確にその時期を断言は出来ませんが、1700年前の文献にそれらしき物が記述されているので、 この頃までには伝播していたと考えるのが妥当でしょう。 その文献の名は数術記遺で、上にタマが1つと下に4つの、いかにもそろばんぽい計算道具が図解で紹介されています。 しかし当時の中国人はこの道具を使いこなしてはいなかったらしく、もっと昔から中国で使用されていた算木という道具をメインに用いていたようです。 そろばんぽい道具が普及するのにそこから1000年ほどの月日がかかります。 14世紀の文献には算盤というのが出てきますがこれがそろばんのことだと思われ、そこそこ認知はされていたことは伺えますがまだ主流にはなっていなさそうです。 本格的にそろばんが活躍しだすのは17世紀になってからで、この頃には計算といえばそろばんの時代だったようです。 それまで停滞していた中国の民衆数学ですが、便利で子供の育成にも適役なこの道具のおかげで一気に発展したらしいです。

【そろばんの5のタマはなぜある?】

ちなみに西洋での線そろばんは手前の線が1の位を表わしており、その上の線が10の位、その間が5となっていました。 中国の算盤も同様で5は1のタマをを5個ではなく、5の単位のものを使います。 5以上の数字を表現するのにその数だけタマを用いるのはたいへんですし計算道具を製造する手間もかかってしまいますので、こうしたシステムになったのでしょう。 紙幣や金銭でも似たようなことになっており、8千円は千円札を8枚使うよりも5千円札1枚と千円札3枚の方が数えやすくて軽いので便利です。 190円なら100円玉1枚と50円玉1枚と10円玉4枚の計6枚が最も枚数を少なくすることが可能になります。 もしも全てを1の位だけでなんとかしようとするなら190円は1円玉を190枚用意しなければならず、持ち運ぶにも数えるにも不便です。 10の位、100の位を使えるのなら100円玉1枚と10円玉9枚になるので、かなり扱いやすくなりますが、それでも10枚のコインを使います。 やはり0~9の中間地点に位置する5を区切りとしなければ計算も難しくなるので、そろばんにも5をタマを用意したのは正解でしょう。 もしこれがないままだったらそろばんを習っている子供達が使う道具も、1つの位にタマが9個付いているような事態になっていたのかもしれません。 今よりも大きなサイズで重たそうですし、現在ほど使われないちょっと不便な道具として日の目をあまり浴びずにいた可能性もあります。 5のタマは偉大で、これがそろばんの肝なのでしょうね。

^